NGC最後の旅 (part4)



 さらに下ると、和服を着た女性と子供の銅像がありました。
 三浦環像です。
 もうひとつ、さらに目立つ白い像がありました。
 ジャコモ・プッチーニと呼ばれる銅像でした。説明書きもありました。
 さらにその隣には、特設ステージなどがあり、結婚式か何か出来るのではないか?と思わせるようなセットがありました。
 今度は、こちらの洋館へ入ることにしました。
 こちらのほうも、周りを見ると、すごく大きな洋館です。
 旧リンガー住宅です。
 中へ入ってみます。

まずは、応接室がありました。
 他にもたくさんの部屋がありました。
 大きな特徴としては、このように着物がたくさんあったことでしょうか・・・。
 そして、さらに下ると、日本初のテニスコートやアスファルト道路がありました。
 こちらが、日本初のアスファルト道路です。
今と、あまり変わりません。
 グラバー園を去って、今度は、めがね橋のほうへいきました。
 めがね橋周辺も整備されており、綺麗になっていました。


 こちらの橋がめがね橋です。
 めがね橋のところには、案内図がありました。

どうやら、各橋ごとに寺院へ向かう一本道のようです。
 こちらがめがね橋です。
このように段差もありました。
 めがね橋の上から、撮りました。
このように川の下にも歩道がありました。
 そして、こちらは反対側。

このように皮の下へ降りれる階段がありました。
 次に向かったのは、出島(でじま)です。
 出島の入口に来ました。
出島和蘭商館跡の石碑もありました。
 早速、入場料を払って、中へ入ることにします。
 中は、はかりやおもり、米俵などがあり、江戸時代の風景そのままの感じでした。
 このように出島だけ見ていると、異国情緒が出ています。
 しかし、裏手に回ると、日本のつくりに見える建物に見えます。


 まずは、こちらの部屋に入りました。
台所です。ここで、料理を作るんですね。
 料理部屋と呼ばれるところです。
 そいて、こちらには、高射砲まで、ありました。
 そして、つぎは、こちらの部屋へ行きました。
 このように見ていると、日本の家の金持ちが住んでいる家であることが分かります。


 そして、こちらのおおきな船の帆のようなものがありました。
 これは、説明版には、旗竿と書いてありました。
 今度は、ミニ出島と呼ばれるところへ・・・。
 このように出島の模型がありました。
 忠実に再現されていました。
 そして、ミニ出島が見渡せる台があり、そこから全体図を撮ってみました。
 その隣には、鉄製の大砲がありました。
 そして、大砲の隣には、石で作られた日時計がありました。
 日時計の説明がありましたが、ほぼ時間どおりになっていました。
 こちらにあるのが、出島の中にある学校の建物です。
 学校の隣にある、こちらの建物は、出島の中で一番古い建物です。
 そして、こちらなのですが、出島へ唯一渡れる橋があった場所です。

今の出島は、埋め立てが進んでおり、陸地続きになっています。
 最後は、こちらのカピタン部屋へ。

カピタンとは、英語で言うと、キャプテンの意味です。
 2階もあり、大きな建物です。
 まずはじめに入ったのは、食堂です。

クリスマスでオランダが出す、メニューでした。
 江戸時代当初、ここからは海が見えた場所です。 果てしない海が広がっていたそうです。

今では、陸地になっており、当時の人間からしたら、さぞ驚くことでしょう。
 そして、この模様と明かり・・・。

日本には、無いもののつくりです。
 ちなみに、この壁は、ふすまで出来ており、日本とオランダでは使い道が違いました。
 時間が来たので、長崎駅へ向かうことにしました。
 先ほどの旗竿の上には、オランダの国旗がはためいていました。
 そして、出島を出て、駅へ向かいます。

長崎を離れる時間が近づいてきました。




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