さらに下ると、和服を着た女性と子供の銅像がありました。
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三浦環像です。
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もうひとつ、さらに目立つ白い像がありました。
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ジャコモ・プッチーニと呼ばれる銅像でした。説明書きもありました。
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さらにその隣には、特設ステージなどがあり、結婚式か何か出来るのではないか?と思わせるようなセットがありました。
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今度は、こちらの洋館へ入ることにしました。
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こちらのほうも、周りを見ると、すごく大きな洋館です。
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旧リンガー住宅です。
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中へ入ってみます。 まずは、応接室がありました。 |
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他にもたくさんの部屋がありました。
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大きな特徴としては、このように着物がたくさんあったことでしょうか・・・。
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そして、さらに下ると、日本初のテニスコートやアスファルト道路がありました。
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こちらが、日本初のアスファルト道路です。 今と、あまり変わりません。 |
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グラバー園を去って、今度は、めがね橋のほうへいきました。
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めがね橋周辺も整備されており、綺麗になっていました。 |
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こちらの橋がめがね橋です。
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めがね橋のところには、案内図がありました。 どうやら、各橋ごとに寺院へ向かう一本道のようです。 |
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こちらがめがね橋です。 このように段差もありました。 |
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めがね橋の上から、撮りました。 このように川の下にも歩道がありました。 |
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そして、こちらは反対側。 このように皮の下へ降りれる階段がありました。 |
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次に向かったのは、出島(でじま)です。
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出島の入口に来ました。 出島和蘭商館跡の石碑もありました。 |
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早速、入場料を払って、中へ入ることにします。
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中は、はかりやおもり、米俵などがあり、江戸時代の風景そのままの感じでした。
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このように出島だけ見ていると、異国情緒が出ています。
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しかし、裏手に回ると、日本のつくりに見える建物に見えます。 |
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まずは、こちらの部屋に入りました。 台所です。ここで、料理を作るんですね。 |
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料理部屋と呼ばれるところです。
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そいて、こちらには、高射砲まで、ありました。
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そして、つぎは、こちらの部屋へ行きました。
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このように見ていると、日本の家の金持ちが住んでいる家であることが分かります。 |
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そして、こちらのおおきな船の帆のようなものがありました。
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これは、説明版には、旗竿と書いてありました。
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今度は、ミニ出島と呼ばれるところへ・・・。
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このように出島の模型がありました。
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忠実に再現されていました。
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そして、ミニ出島が見渡せる台があり、そこから全体図を撮ってみました。
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その隣には、鉄製の大砲がありました。
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そして、大砲の隣には、石で作られた日時計がありました。
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日時計の説明がありましたが、ほぼ時間どおりになっていました。
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こちらにあるのが、出島の中にある学校の建物です。
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学校の隣にある、こちらの建物は、出島の中で一番古い建物です。
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そして、こちらなのですが、出島へ唯一渡れる橋があった場所です。 今の出島は、埋め立てが進んでおり、陸地続きになっています。 |
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最後は、こちらのカピタン部屋へ。 カピタンとは、英語で言うと、キャプテンの意味です。 |
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2階もあり、大きな建物です。
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まずはじめに入ったのは、食堂です。 クリスマスでオランダが出す、メニューでした。 |
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江戸時代当初、ここからは海が見えた場所です。 果てしない海が広がっていたそうです。 今では、陸地になっており、当時の人間からしたら、さぞ驚くことでしょう。 |
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そして、この模様と明かり・・・。 日本には、無いもののつくりです。 |
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ちなみに、この壁は、ふすまで出来ており、日本とオランダでは使い道が違いました。
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時間が来たので、長崎駅へ向かうことにしました。
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先ほどの旗竿の上には、オランダの国旗がはためいていました。
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そして、出島を出て、駅へ向かいます。 長崎を離れる時間が近づいてきました。 |